親の介護を上手く乗り越えるお話 第三章

 

親の介護の真っ最中の方、これから介護が始まるであろう方に読んでいただきたいブログです。

義父を介護し、そのすぐ後に実父の介護、最後に実母です。

義母は夫がまだ十代の時に、突然事故で亡くなりました。

夫は想像も心の準備もないうちに突然の母親の死を受け入れるのに長い時間がかかったようでした。

夫と私が知り合ったのは、その義母が亡くなったことがきっかけでしたので、結ばれる運命だったのか、それとも義母が合わせてくれた縁なのかもしれません。

恋愛をして、結婚を決意した時に夫から、義父との同居を頼まれました。

私の実家は母が10人兄弟でしたので、いつも母の兄弟が家に居て賑やかな生活をしていたので、むしろ夫と2人きりの生活より賑やかで良いだろうとしか考えませんでした。

なので舅と同居は当たり前と思っていました。

そんな私でも、いざ同じ屋根の下で暮らすというのは、こんなにもストレスなものなのかと、自分が一番驚いていました。

毎日争う事は全くなく穏やかに暮らしていましたが、正直、嫌で嫌でノイローゼになりそうと思ったことも1度や2度ではありませんでした。

長男が1歳、片言のお喋りが可愛い頃の食卓で、義父は晩酌のお酒が回ってくると、何度も何度も同じ話が続きます。聞きたくない話を聞きながらの食事だけでも嫌なのに、片言のお喋りの長男の声さえ遮られるんです。「家もお金も要らないから、親子3人でご飯が食べたい」が私の夢でした。

 結婚40年・まだ介護は続いています。

私たち夫婦はそんなんで、結婚してから一度も二人で生活したことがありません。

母が透析中、約2時間病院の近くでモーニングしたり、早めの買い物をしたり、なにせ週2回、お盆もお正月もありません。

でもこんなに夫とゆっくりする時間を共有したことも無かったように思います。

モーニングなどはもう行く所が無いねと言うほど近場のカフェは行き尽きました。

のんびりし過ぎて、透析が終了した時間に遅れたりもしていました。

慌てて、母を起こして着替えて出なくちゃならないので、さっさっと起こすと、シャントの止血が外れて、大出血したことも何度かあり、ビックリします。

そんな時、看護師さん達は慌てることもなく、淡々と処置してくれます。

 

 

 

 

毎週火曜日と金曜日は透析の日です。

9時までに病院に着かなくてはなりません。

朝ご飯を食べて顔を洗って髪の毛を整えて洋服もお着換えです。

 

 

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